京都から宮古へ

京都から宮古へ ⑦
 
さっ、今日最後の訪問先、〇○を目ざして、現地スタッフの案内で出発した。訪問先にも、訪問時間の目安もお伝えして了解を得、先ほどの作業所の話などをしながら向かったのだが…、先導していた車の進行方向が、いつの間にか山奥の方に侵入し、先の道が無い所で止まってしまった。
先のスタッフが「もーっ、俺のカーナビ古いからか信用できねー」とぼやきながら車を降りてきた。「それじゃ、こちらのナビで行きましょうか」という事で先導役を交代し、再び出発。Uターンして改めて走り始めたのだが、カーナビの指示通りに走っていると、何やら雰囲気が怪しい方向に向かい始めた。
河川敷の工事現場のような所に入り込んだかと思うと、急に道が狭くなり、どう見てもいつも車が走っている道とは思えない異様な光景が見えてきた。山間から木が倒れ、大小の落石があり、さらに道が狭くなっているのだ。先ほどのカーナビがおかしいわけでは無かった。納得して良いのかどうかわからないが、私のカーナビも同じだったのだ。
そして最悪のパターンが起きた。私の車のタイヤがパンクしていたのだ。道路の凸凹だけではなく、タイヤの左脇を岩で裂き切ってしまい、実は、ホイールからタイヤが外れかかっていたのだ。
京都から運転してくれたMさんやスタッフのIさんがスペア交換作業を始めてくれたのだが、ジャッキを支える地面が凸凹で固定できない。ナットを外す道具も石に引っかかって回せない。お天気も良く、まだ明るい状況なので気持ちの余裕はあったが、もしかして上からの落石があったらどうしよう、などと思うと気が気ではない。
右上の高い方向には、先ほど私たちが走って来たと思われる大きな橋があり、次々と走り去る車の姿が見える。
ついには「JAFを頼もう」という事になり、携帯からJAFへ電話。幸いにも携帯は通じたのだが、何せこちらは迷ってしまっているので、現場の説明もうまくいかない。大分時間をかけて、かろうじて場所の確認もとれて出動してもらえることになったのだが、到着するのは50分後とのこと。
とても心苦しいことであったのだが、Mさんを残して、私たちは一度センターに帰ることとした……、とは言え、私は自家用車からリフトを使って降り、普通の乗用車に乗り換えなければならない。やっとの思いで、宮古センターの車に乗り込んだが、今度は私の電動車いすの折り畳みがなかなかきかず、何とか押し込んでもらった。
先程迷い込んだ道をUターンし、とにかくも国道45号線に戻ることが出来、みやこセンターに帰着した。途中にもMさんとは連絡は取りながらではあったが、私自身も精神的に相当疲れていたことを自覚した。
「明日の昼にはもうここを離れることになる。」あっという間の訪問だ。こんなんで本当に支援になったのだろうか。もっともっとやることがあったのではないだろうか。車いすに乗った人と会ったのは釜石に行った時の一人だけ。センターを訪ねてくる、知的や精神の方とお話し出来たのも少しだけ。考えれば考えるほど、障害当事者による支援活動の難しさと根気強さが要求されることを改めて知った。
 
今夜のみんなとの夕食、そして明日の午前中には、頼まれていたスタッフへの障害者運動、まちづくり運動の経過についての勉強会。
明日一日だけの宮古の町をゆっくりと散策したいところなのだが、どうやらその時間もないようだ。
 
(続き)