【報告編】 相模原殺傷事件から1年 事件をうんだ「障害者はいらない」という考え方(優生思想)」について考える (居場所づくり勉強会 第47弾)のご報告

今年の7月26日で、施設に入所していた障害者19名が殺害された相模原事件から、一年がたちました。
この事件は、「障害者はいらない」という考えから、障害者が多数殺傷された事件でした。

「障害者はいらない」という加害者の考えは、人の命に優劣をつけるものです。
それは、「優生思想」と呼ばれており、社会の中のいたるところで見え隠れしています。

隔離された場所にある入所施設、安楽死尊厳死をめぐる政治家や経済界の言説...

それらは「障害者はいらない」という考えのあらわれではないでしょうか?
また過去には、ナチスドイツで、優生思想に基づき、実際に国家ぐるみで障害者が大量に抹殺されたこともあります。

そこで今回は、事件から一年たったことを受け、「障害者はいらない」という優生思想について考えるために、
尊厳死安楽死をめぐる言説を研究されており、ナチスドイツでの障害者大量殺りくの現場を訪れたこともある、立命館大学の大谷いづみさんをお招きし、勉強会を開きました。

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まず初めに、少しだけ「安楽死」の説明をしておきます。
安楽死は、積極的安楽死と消極的安楽死に分けて考えられます。
積極的安楽死は、致死性の薬の注射などによって死ぬことです。
消極的安楽死は、行なっていた治療をやめたり生命維持装置を外したりして死ぬことです。
日本で度々議題に上がる「尊厳死」は、消極的安楽死を指しているようですが、他国の尊厳死は、基本的には、医師が自殺のための薬を処方して、自分自身が致死薬を飲む、医師幇助自殺や、積極的安楽死のことを指します。

大谷さんには、この安楽死の様々な現状や言説を教えていただきました。
スイスでは、早くから自殺幇助が認められていて、現在では国外の自殺希望者を受け入れている団体があること、
オランダやベルギーなどの安楽死合法化は、キリスト教、特にカトリック自死が禁忌)への対抗としての部分もあること、
アメリカで認められているのは、全州ではなくいくつかの州であること、
何万、何十万という障害者が安楽死させられた、ナチス・ドイツのT4作戦のこと、
日本の尊厳死法案は、法制化の動きを何回も繰り返していること、 (国会提出までされて廃案になったのは1度) 
尊厳死に関する太田典礼の主張 などなど。

安楽死を認める国と言っても、
最初の説明の、積極的の方か消極的の方か、
自分で服薬か医師の注射かといったその手法、
安楽死が認められる条件が緩いか厳格か
というような違いもあります。
また、国内外の実態を、20世紀以降~現在に至るまで色々見てみると、
どこか一つの国や一つの時代だけで完結しているわけではなく、互いに影響し得ることが分かりました。
逆に、時代ごとや国ごとに違う経済的・文化的背景によっても、言説が異なる部分があることも分かりました。

大谷さんは、障害当事者でもありますが、障害当事者としての苦しみや怒りにも、自分自身の内なる優生思想にも、その社会を形作る一人だということにも、ストイックに自覚的であろうとされていました。
それはそのまま、「じゃあ私はどうだろうか?」と自分自身に当てはめて問わざるを得なくなる力強さでした。

また、大谷さんの専門は生命倫理学ですが、生命倫理学では、どんな状態であってもよりよく「生きたい」という方向よりも、尊厳を持って自分らしく「死にたい」方向の研究の方が大半だというお話しもされていました。

勉強会の終盤では、ナチス・ドイツによって、数多くの障害者が殺され、焼却された、ハダマ―精神病院について、大谷さんが実際に訪れた時の写真とともにお話しいただきました。
ハダマ―精神病院は村の高台にあるそうです。一見はむごい歴史があるなどと分からない、緑豊かな美しい風景でした。今も地下に残されている、ガス室だった部屋の写真も見せていただきました。また、ガス室の横の建物が、今現在も精神病院として使われているそうで、同敷地内どころか真横であることが衝撃的な写真でした。

以上のような勉強会の内容を受けて、次の投稿では感想をアップします。
そちらもぜひご覧ください。