京都から宮古へ

 
 
2012年3月29日、午後6時前。
 私たち、日本自立生活センターと京都でてこいランドのメンバー4名は、自動車組と新幹線組みに分かれて、1150キロの道のりを走り京都から被災地障がい者センターみやこに到着した。
 常駐職員の方、先着しているボランティアの方々から出迎えを受け、何かしらの不安と使命感で少々の緊張感を覚えた。夕方のミーティングから早速加えていただいて、自己紹介の後、早速に夕食前に今日の報告。各自スタッフの活動報告、課題、次の日の活動予定などが話された。コーディネート役の山下さんの指示によって、明日は、お花見イベント案内チラシのポスティング、行政訪問などが確認された。
寒いことを覚悟していたこととはまったく逆で、岩手はこの冬一番の暖かい日となり、1階の人と2階の人に分かれての宿泊。ゆっくりと休むことができた。

次の日の30日午前、一人は、定期点検、いや違った、定期点滴のため病院へ出かけ、二人はポスティングに出かけた。
 ・・・点滴を終えてから行政機関訪問と言っていた予定は、急遽変更とのこと。障害者支援プロジェクトの目的の一つでもあったKさんとの面会が、思いがけずに釜石で実現すると言う新しい情報で、京都組は山下さんの運転で釜石センターを訪問することになった。
山と海の風景が交互に現れる道中では、毎日のように報道で見せられていた山田町や大槌町の被災状況が目の前に現れた。1年以上たった被災地でありながら、破壊された家屋の土台だけが残されたまま、いまだにまったく手付かず状態の所が多かった。
 大きな店舗では1階が、小さな建物は跡形もなく、時には防波堤が破壊され、山間と思われるような所までの立ち木が倒れていた。思わずに、ここに自分がいたとしたらどうしていたのだろう、恐らくひとたまりもなく波に吸い込まれていたに違いない、と思ってしまった。

(続く)