京都から宮古へ②

 だいぶ以前のことだが、健常者のある方が、地震や火災や津波で恐い思いをするのは障害者だけではない、健常者も恐いのだから同じ思いよ、と言ったことがある。本当だろうか。一歩でも二歩でも、自分の力で逃げようとして逃げれる人と、自分の力では一歩も動けない人の恐怖感と言うものが同じだろうか。私は大いに疑問に思ったことがある。
 車いすに乗ったまま、ベッドの上に寝たままの姿で、そのまま波に飲まれていってしまった状況を想像すると、何かしら気持ちが重くなる。

 釜石のほうに入りかけると急に風が強くなる。浜風なのだろうか。破壊された建物とまったく被害の無かった建物とが隣り合わせている。地元の人が、ここまで波が来たんだよという、その指先がその境を示している。本当に、数メートルの違いでその明暗は分かれていた。
 釜石の海岸からやや奥まった所にある「被災地障がい者センターかまいし」に午後3時少し前に到着。目ざすKさんも時を同じくして到着していた。
 これまでの情報で、唯一彼との共通点は、二人とも骨形成不全症と言う病気であること。それだけだ。そこで想像したのは、お話好きで、冗談が言えて、何せ口から先に生まれてきた人のイメージ、あるいはそのまったく逆に、きわめて陰気で、人の顔はじろっと見つめて身構えるタイプ。私の独断と偏見による想像は、前者のほうで大当たり。いや、想像以上の話し振りで、すでに、出版社による一般の書籍を作っていて、アマゾンなどでも売り出していると言うことだった。
 やられたー、先をを越されてしまった。--と言うライバル意識はちょっと置いといて、今は施設で生活されていて、できればそこを出て、自立生活をしたいとのお話もお伺いした。ぜひぜひ、このさまざまに厳しい環境の中で、その思いが実現するならば、周囲の人たちの意識も変わり、周りの環境も変わっていく。そしてまたその後輩たちが続いていくだろう。
 一緒に出かけて行った京都からのメンバーともメルアドの交換もし、今後の再開とギャグの交換?を約束してお別れした。

(続く)