視察・支援団⑧「仙台で交流会」

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もうずいぶん長くこちらにいるような気もするし、あっという間のような気もしている3日目の夜です。それぞれの方から伺ったお話も、目に飛び込んでくるものも、すべての経験が大きすぎて私の脳の容量ではまったくつかみきれていないことをもどかしく感じます。でも日を重ねる中で思うのは、毎日の経験が相互に関係しあったりして、時間をおいてから少しずつ分かってくることもあるのかもしれないなぁということ。たとえば、仙台の方のお話を伺うことで、1日目には呆然と伺うしかなかった福島の状況についても反芻され、少し分かった気がしたり。

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今日、どう感じたらいいのか分からずにひたすら歩いて見た南三陸町のことも、その場所の匂い(海の匂いと人工的な何か?の混じったような匂い)や喉に感じたいがらっぽさなど含め、あの場所で得た感覚を体に残しておいて、少しずつ整理していきたいと思っています。



 ← (CILたすけっとの生みの親・杉山裕信さん。JCIL矢吹さんの武勇伝と現在の仙台の話をたくさんうかがいました)



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(二人の事務局長。たすけっとの井上朝子さんと香田さん) →



南三陸町から戻ったあとは、CILたすけっとで活動しておられるみなさんと一緒に事務所でごはんをいただきました。そこであおったビールも効いてだいぶ眠いのでもうここらで今日は寝たいと思いますが、最後に、こんなことをお話されていたのが印象に残りました。いわく、被災地支援で訪れた人たちにはこの問題をそれぞれの地元に持ち帰ってほしいのだ、と。ここでいうのは地元からどう東北を支援していくのか、という意味ではなくて(もちろんそれは今すごく大事なことですが)、またどこかで震災が起こったときに障害者がどこへ行ったのか分からない、という状況が再び繰り返されないように、障害者と地域とのつながりをもっと普段から濃いものにしていかなくては、というようなお話だったと思います。視点をつき返されるようでもあり、視野が広がるようにも感じました。
(三保谷

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障害者プロレスドッグレッグスから贈られた横断幕)