ご意見について

 少しの期間、ブログを覗くこともなく過ごしていると、ある方からコメントが入っておりました。
 内容を要約すると 「障害者はおとなしく家の中にいろ! 何でもやってもらっているのだから文句を言うな。何かやってもらったら感謝しろ! 障害者の運動のおかげで、俺たちの税金負担が大きくなるのだから、自分たちでもお金を出せ!」 ということになるようだ。
 私たちが、30年以上も前に、一般市民から繰り返し聞いたご批判とほとんど同じ内容のもので、極めて古典的なご意見で非常に懐かしく拝見した。(さすがに昔でも「○×」とは聞いたことはないが、これはコメントを下さった方<多分、滋賀県の地理に詳しい障害を持つ方だと思う。また、発信時間からしてもお時間のある方のようです>の名誉のためにも見なかったことにしたいと思う。 何故なら、これは明らかに脅迫的な言葉で、学校の裏サイトなどで使われるもので、意見交換にはふさわしくないからだ。)
 コメントの中には、「貴団体」と書いてあるので、私たち日本自立生活センターのことを指しておられると思うのですが、実は、この障害者の移動と交通の運動に関しては、当団体は極めておとなしい団体で、ただひたすらに署名を集め、仲間が看板を背中にしょって歩いているだけで、他人様の前で騒いだり暴れたりしたことはありませんし、たまーに、京都市交通局などにお邪魔して話し合いをしてくるだけで、京都市交通局からは「京都市はお金がありませんので、無理です」と言われると「あー、そうですかー」と言って帰ってくるほどで、最近では、全国の仲間からは「運動もしてない孤立した存在」とささやかれているほどです。
 ただ、今回のように、乗車を拒否されたと言うことになると問題は全く違います。明らかに社会参加を拒否された訳ですから、私たちは断固許しません。 私たちが、これまでの人生をかけて取り組んできた「移動と交通」の問題であり、私個人の尊厳の問題でもあります。 公共交通機関という役割を自ら放棄したバス会社は、もはやその存在の意味はないのです。 それは、単に車いすの人の問題ではなく、過疎地域の高齢者にも見られるように、人間の存在そのものの問題です。 公共交通機関であるバスは、歩ける人のためのものだけではありません。歩ける人こそ、自転車もありタクシーもあり電車もあり、バイクもあり自家用車もあるのですから、バスに乗り必要はないのかも知れません(これは言い過ぎですが……)。
 そして、もはや私たち障害者に関わる問題は、単に福祉の問題ではないのです。 医学的、科学的、経済的、人道的、その他すべての社会そのものの課題なのです。
 
 ぜひ、皆さんで一緒に考えて下さい。
 ご批判はご批判としてお伺い致しましたので、今後参考にさせて頂きます。ありがとうございました。
                                      (文責・矢吹)